2016年12月28日

和風に思う − 割り切らないということ

モダニズムの思想では、プライマリー(明快)な形態が最も美しいとされていますが、本当にそうでしょうか?


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数寄屋の“数寄”は様々な意味が重なって一つの言葉になっていますが、その中に“奇数”が含まれるといわれています。つまり、割り切れないということ。それは思想的にも非常に重要であり、設えに一つから小物に至るまでどの意匠にも現れています。


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明快な建築は向こうから「このように見て欲しい、感じてもらいたい」と饒舌に語りかけてきます。見る者にとっては非常に受動的です。


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一方、数寄屋は陰翳を生かして線や形をぼかします。極力あいまいにすることが、思想的に大切であり美意識と言えるでしょう。それは、見え方を見る者に託すと言うことです。自由に感じてもらい受け入れてもらうという“茶”の考え方に則っているからです。


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IT化や国際化が進む中で、知らず知らずの間に尊いものが失われてゆくことは非常に残念です。「あいまいな美」と言う考えは、我々日本独自のものであり最も大切にしたい高度な美の伝統なのです。


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矩須雅建築研究所は本日仕事納めです。今年一年有難うございました。よいお年をお迎え下さい。

posted by 佐藤健治 at 16:12| 和モダンについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

和風の意味 − 風土に根ざすということ

白浜の家


震災から5年を経た4月、ようやく高台の敷地に引渡しがありました。翌5月着工、10月に竣工しました。


敷地は白浜の背後にある高台で、正面に雄勝の山々を望む追波湾を一望、雄大な北上川と交わります。


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十三浜にはこの地ならではの仕来りや伝統色濃く残っていましたが、時代の流れや津波によって、長い年月の間に育まれた大切なものの多くが消えてしまいそうです。


嘗ては対岸の雄勝で産出される天然スレートで葺かれた入母屋大屋根の連なる美しい家並みの集落が十三、それぞれの入江ごとにありました。リアス式海岸の起伏のとんだ崖や森に囲まれた小さな扇状地に連なる家々は独特の美と存在感を醸し出していました。


この地域では敷地の奥中央に母屋、その矩折にこま屋といわれる付属屋(納屋)が配されます。漁業、農業、林業を生業とするため、こま屋は作業スペース、倉庫、貯蔵庫を兼ねた役割を持っています。


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伝統的に母屋は南向きで、広い土間の奥に囲炉裏のある広い板の間、東側に広縁、奥に畳の間があり、仏壇の上に大きな神棚が祭られています。西側が厨房で外に魚を捌く流し、こま屋と繋がります。家長は横座という囲炉裏の東側に座るのが慣わしになっています。


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この「白浜の家」はこの仕来りや習慣を大切に、且つ現在のライフスタイルをバランスよく融合した住まいです。更に家の“格”も重要視されるため、姿も伸びやかで、風格のある堂々としたものでなければなりません。


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新たに形成された高台では様々な事情により、大切に育まれてきたことが無くなってしまったように感じられます。白浜の家はDNAを受け継ぎ、その豊かさを後世に伝えたいと願い共に造り上げた住まいなのです。


posted by 佐藤健治 at 17:52| 和モダンについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

和風に思う

今年は和風の物件を二つ手掛けました。

一つは津波で被災した伯父従兄弟夫婦の住まい、もう一つは明治期の棟に昭和30年代から増改築が繰り返されされてきた数寄屋の大規模(スケルトン)改修した住まいです。


この二つに携わり、しみじみと感じたことがありました。

今年も僅かですが、仕事納めまでに感じたことを綴りたいと思います。


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posted by 佐藤健治 at 16:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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